「バイリンガリズムの理論と日本」
スティーブ・マッカーティ

Original Print Publication:
『香川短期大学紀要』第21号、1〜6頁 (1993)
("Bilingualism Theory and Japan"
in Japanese, by Steve McCarty)

はじめに

この論文は、世界中のバイリンガリズム(二ヶ国語併用・使用) の研究によって得られた理論を概説し、これらを日本のバイリン ガリズムの現状を把握に適用することを目的とする。更に、日本 で用いられているバイリンガリズムの用語を再点検するとともに、 日本における二言語・二文化併用に見られる諸現象を述べるに必 要な新しい用語についてもいくつか紹介したい。

バイリンガリズムの研究と日本

日本では、バイリンガルといえば、二か国語がペラペラの、到底 普通の人が到達できるとは思えないような語学力を備えた人物を さすようであるが、これは何とも残念な誤解である。最優秀の同 時通訳なみの、絵にかいたような妙技だけがバイリンガルである などと言い出すと、これはもう希有の両刀遣いの話しになってし まい、到底普通の人のあずかり知るところではなくなってしまう。 とすると、自分がバイリンガルであるなどとは、おこがましくて、 とても言えるものではないであろう。全国的に調査したら、日本 人の回答者の大部分が自分をバイリンガルとは認めたがらなかっ た。(McCarty, 1992a, pp. 173-178)。ところが、バイリンガル の本来の意味から言えば、個人的にも、社会的にも、第二言語が ある程度まで習熟できていれば、もうバイリンガリズムの域に達 していると見做してもさしつかえないのである。とすれば、日本 にもすでにバイリンガリズムは存在しているし、それも、日本人 が考えているよりはるかに多く存在しているのである。というの は、数百万という日本人がすでに「ちょっとしたバイリンガルだ」 とか「まあまあのバイリンガルだ」とかいってもいいくらいのと ころまで到達しているからである。

では、まず、個人的レベル、社会的レベルで、バイリンガルとは、 何かを再考してみよう。ある意味では、学術研究の一分野であり、 専門的研究もなされているので、当然その方面の用語も集積して いる。TESOL Quarterly という世界でも最大の英語教育学会が 出す機関誌のなかでも、その論文の約8%が二言語併用・使用に あてられてあり(伊藤 1985, p. 19)、現在、学校で教える教科を 複数の言語で教えるというようなバイリンガル教育が一大焦点に なっている。

であるが、実際的な観点から見れば、バイリンガリズムとは、言 語学の他の諸学説から分離した一つの学問というよりは、互いに 接触しあっている複数の言語と文化に焦点をあわせた総合的学問 すなわち総合的アプローチであるといったほうがいいであろう。 「バイリンガリズムとは、第二の言語として外国語教育を施す際 に揚げる到達点である。バイリンガリズムは、この特有の総合的 アプローチによって、言語習得の面に新しい展望をもたらす。す なわち、世界的規模での調査研究が示しているように、誰にでも 到達可能なその到達点がバイリンガリズムの出発点となるからで ある。更に、バイリンガリズムは、ありとあらゆる言語的・文化 的多元性を有している。この方法論、すなわち総合的アプローチ を多言語・多文化の現象に応用することが可能である。かくてバ イリンガリズムは、眼前の実用に供せられるとともに、理論的、 また、調査的研究の面でも、新境地を開くものである。」(McCarty, 1992b, p.3)。

Malcolm Benson は、日本の英語教育者鋸の総合的アプローチをと らえ、大学生ともなれば、ただ漠然と英語を勉強しているという よりは、すでに二言語・二文化併用者になりかけていると述べい る。たしかに、外国語は文化的にも新しい視点をもたらしている のであるから、思考体系にもなんらかの影響を及ぼさずにおかな いわけである (1987, p.4)。バイリンガルであるということは、 もはや二言語を同程度にあやつれるということではなく、機に臨 んで第二言語を機能させるレパートリーがあるということである。 海外旅行の場合に限らず、国内でもある程度二言語を機能させる 社会的な場はすでにたくさん存在している。「バイリンガルにな れば、一人の人間のなかに二段構えの主体性ができあがり、それ を用いれば、政治、実業、学問研究の分野での国際的活躍も可能 になる」(p. 6)。「学生たちは、実は、第二言語というより、第二 文化としての英語を習っているのである」(p.7)。

国際キリスト教大学 John Maher 準教授は、バイリンガリズムについ て、「日本の多くの人が日本語以外の言語も使用して生活してい るバイリンガル社会である」(1991, p. 7)。「バイリンガル教育 はバイリンガルを育成するプロセスに貢献する教育であって、ど んなに不完全であっても、バイリンガル度を高めるためになされ るものである。とすると、外国語教育は明らかにバイリンガル教 育に含まれる」(p.10)。 バイリンガリズムとは、一部の特別の能力 をもった人を対象とする特殊なものではなく、われわれ全員がか わりを持つ日常的なものである。」と述べている。

つぎに、バイリガンリズムに関する権威ある教科書の中から日本 の状況にあてはまる箇所を紹介しよう。フランス人のグロンニャス 教授 (Francois Grosjean) は、「日本は、一見すると単一言語・ 単一文化の社会のようであるが、実はアイヌ語、朝鮮語、中国語 をつかう少数派の集団がいる。彼らは、多数派の日本人とは離れ て生活しているから、二言語併用の状況はまだ何世代か先まで 続くはずである」(1982, p. 6)。しかしながら、1982年から 11年間の間に急成長をとげた日本語と英語に二言語併用につい ては触れていない。昨今では、日本人の夫婦で家族のなかに英語 を母国語とする者がいないにもかかわらず、その子供たちをうま く日英バイリンガルに育てている例もでてきている。

「言語というものは、単に伝達のための道具であるばかりでなく、 帰属集団の標識でもあるから、人間には母国語以外の言語に対し て好感または嫌悪感をいだく傾向があり、それが言語だけにとど まらず、その言語を常用する人間にまで及んでいく」( Grosjean, pp. 117-118 )。日本の中学生や高校生のなかには、英語の試験 嫌いがもとで、外国人一般が嫌いになったという者もいる。かと 思うと、教育ママのなかのは、外国人といえば、英語会話の教師 としてどうかという物差しだけで相手をとらえ、受験戦争の中で 生き残っていくために払わなければならない月謝のことを思い浮 かべて頭を痛くする者もいる。これは、言語と言語の使用者の混 同した例である。または、日本の教育制度に向けるべき矛先を英 語を常用する人間のほうに向けてきた例である。英語を常用する 人間にも、日本人同様一個の人間として見てもらいたいといのが 英語を常用する人間の願いである。なにも、母国の代表者である などと思って見てもらいたいわけではないのである。

グロスジャン教授は、また、政府の方針が外国語教育に対し、 いかに絶大な影響力を持つかという点に着目し、一方では、「政府 の目指すところが、国であり、国語なるものを普及させることで ある場合、小数民族の言語は容易に教育の中に入り込む隙を見出 せなくなるであろう」(p.207)。逆に、「もし社会の要請が、多民 族を保持することにあり、国内のすべての言語、すべての文化に 同等の地位を与えることであり、言語を活性化することであり、 外国語をより能率的に教えることであり、そして複数言語・複数 文化併用を推進することである場合には、ごく自然に、複数言語 による、複数文化に基づく教育プログラムは促進されるであろう」 (p.215)と述べている。

日本の場合がどうであろう。草の根のレベルでは、英語にたいして もけっこう積極的な態度が見られるのに、政府のレベルでは、外国 語教育の目標がバイリンガリズムであるという方針が、まだ認めら れていない。抽象的な国際化に日本政府は積極的であるが、具体的、 どうすれば国際化が実現するか十分に理解されているとはいえない。 このためには、国民の一人一人がに二言語併用・二文化併用の能力 を身につけ、それこそが主体性の発展を促進するものとして社会的 にも受け入れられるようになることが大切であろう。

バイリンガリズムと用語と日本

ヨーロッパやカナダやアメリカでこの分野の研究が進むにつれて、 二言語併用・に伴う社会的ないし個人的諸現象を述べる用語もたく さんでてきた。が、日本では、研究がまだ始まったばかりであり、 東洋の言語にもあてはまる原則を見つけだすにも、まだまだ精力的 研究を重ねなければならない。例えば、あるエスニック・グループ では、言語の価値を中心に据え、文化上の帰属性(カルチュラル・ アイデンチティティ)を判定する標識としている( Hamers & Blanc, 1989, p. 177)というのを読むと、西洋にも日本のようなところがあ るのだということが分かるわけなのである。

日本に入ってきたバイリンガリズムの用語は日本的性格を帯びるこ とになったが、多くの誤解や抑制を訂正しておかなければならない。 例えば、バイリンガル(第二言語がある程度できるなどの二言語使 用者)のうち母国語と同程度に第二言語を利用できる人しか認めら れていない。ある程度第二言語ができればもう、バイリンガルであ ると頭を切り換えさえすれば、日本にも数百万というバイリンガリ ズムがもっと大きな働きをするはずである。

遺伝学的にも、頭の構造、その外の点でも、日本人がバイリンガル になれない要因は一つもない。人間は、正常であれば誰でもバイリ ンガルにられる。また以下に述べるように、筆者の全国的調査の結 課から、二言語・二文化併用者になることに恐れをいだく理由はど こにもないことが明らかとなった。言語の文化の区別がはっきりし ていない場合には、社会文化面で原則違反をしないようにと気をつ かうあまり、外国語の内在化にいくぶん抑制が働くことがあるかも しれない。しかし、どの程度であれ、二言語・二文化併用が実行で きるようになれば、それが精神に好影響をもたらすことも明らかに なった。西洋人が日本語を習う場合、それによって自分が日本人に なってしまい、西洋人でなくなると思う人が調査の結果などでであ ったことはない。それどころか、日本人にも、外国語を学んで、少 しでも二文化を併用するようになると、かえって母国の文化に目を 開き、日本の文化にどっぷりとつかっているだけの日本人よりずっ と日本の文化に対する造詣が深くなるというのが、回答者に再認識 された。

英語では、bilingual の意味が、形容詞としては「二か国語」で あり、名詞としては「二言語併用者」である。ところが、日本では、 もとの英語のない「バイリンガリスト」という和製英語をところど ころに聞いている。ほとんどの場合、自分と違う「日常生活で二言 語を使っている人」という意味で使っている。英語の -ist (主義 者)を接尾辞として付けていたので、「二言語併用者を主義とする 人」と思っていたということもありえる。このようにしたら、忠誠 の有無が問題になるようでは、第二言語の内在化にとっては、もう 一つ要らざる障壁を設けることになるであろう。

バイリンガリズムの用語を正しく導入すれば、より積極的な見方が 現れるであろう。では、日本の状況で役に立つ、研究データで証拠 立てた専門語を定義してみよう。まず、バイリンガリズムそのもの ついていえば、これは、社会レベルでも、個人レベルでも、複数の 言語ないし文化の共存を意味しているが、特に、一つの社会の中に、 二つの言語が共存する状態をさす。そのような社会に生きる個人の 心理状態・バイリンガル度を表すには、「バイリンガリティ」が用 いられる。この英米の学会ではよく知られていない専門語はフラン ス語の「バイリンガリティ」に由来し、ヨーロッパやカナダの研究 者の間で用いられる。「バイリンガリティとは、伝達の手段として 二つ以上の言語を持っている個人の心理状態である」(Hamers & Blanc, 1989, p. 265)。

今日の日本にもっとも関連の深い現象をさすバイリンガリズムの種 類は、「成人の後続性バイリンガリティ」である。つまり、思春期 以後に第二言語の習熟度がある程度にまで達した人のバイリンガリ ティである。彼らのバイリンガリティは、その第二言語の習熟の度 合いに応じ−受動的ないし受容的能力、運動能力、作成能力をひっ くるめた習熟度に応じ−そのレベルはさまざまである。また、日本 ように、日本語も英語も双方がともに高く評価されている場合には、 英語が日本語をとって代わるということはまずありえず、英語は日 本語を増強する側にまわるようである。言い換えれば、「共存共栄 的バイリンガリティ」が予想せれるわけである。

バイリンガリズムとバイカルチュラリズム

第二文化の受容に関しては、バイリンガリティとも一部重なってい る「バイカルチュラリティ」という言葉が必要になってくるが、こ れは二文化を併用する個人の心理状態・バイカルチュラル度を述べ るのに用いられる。

これら社会的観点から見れば、その構成員が二つの文化のなかで機 能していくことができる程度の二文化を知っているようなことであ り、予想されるような行動がとれまいが、ともかくも第二の文化に 適応している状態をさす専門語である。バイリンガルではあっても、 「第二の文化の社会ないし外国語の社会で、その社会の様式に従っ た行動がとれない」( Richards et al, 1985, p.27)場合は、バイ カルチュラルとは言えない。事実、二文化の併用度より二言語の併 用度のほうがずっと大きいという場合もあれば、またの逆もある。 文化はそれぞれに価値観をかかげているから、いざ内在化する段に なると、言語より簡単にいく場合もあるが、難渋する場合もある。 さらに、二文化併用はいくつかの問題を提起する。まず、第二文化 を受け入れる際の問題、第二文化の社会がバイカルチュラルと称す る者を受け入れるか否かの問題、そしてそれぞれの文化がこれらの 点で開放的か閉鎖的かという問題である。

カナダの研究者の Wallace Lambert は、二文化併用成立の例をあ げ、「異文化を背負った男女が結婚してできた子供たちは、その家 庭内に二重文化によって好ましい影響を受けている」(1977,p.22) と報告している。そして、「さまざまな研究の結果、二言語併用・ 二文化併用が必ず主体性の欠除ないし崩壊を招くというのは全然根 拠のない迷信であることがわかった」(p.23)と結論している。どう やら、他の国にも二文化併用の危惧する向きはあるようである。確 かに、慣れ親しんだものを離れて未知のものに向かおうとする時に 恐れを感じるのは人間性の自然というものであろう。が、このよう に危惧する向きには、これが安全で、しかも実りの多い航海である ことを知ってもらわなければならない。

筆者の研究は、日本における日英両言語の後続性バイリンガルが言 語と文化のおいてどのようなマイナスまたはプラスを得ているかを 検証したものである。結論を言えば、認識面と情緒面のプラスが見 られた。すなわち、各人がその二言語・二文化の併用度に応じて、 一言語・一文化で通している人より認識面が強化されている。一つ の問題を扱うにも、二つの言語体系と二つの文化的視点をもって対 処しようとするからである。しかも、二言語ないし二文化の差が大 きければ大きいほど得るものも大きいようである。既に世界人口の 約半分が複数の言語を併用しているとすれば( Grosjean, 1982, p. 226)、 このプラスもおそらくある種のバイリンガリティにのみ生じるので あろう。いずれにしても、この「認識面でのプラス」という概念は、 本研究の結果から支持されている。

「倫理面でのプラス」という概念も、情緒面のプラスに関連してい て、重要である。ここでは、回答者が第二文化の価値観を習得する ことを示している。例えば、、民族的意識や偏見が少なくなり、異 文化の人に対しても心がより開放的になれば、彼らを見る目にも客 観性や共感が増してくるというようなことである。明確に打ち出し ているのか否かは別として、どこの国でもその国民に、教育を通じ て道徳的心理を教えようとしている。が、その理想たるや、東洋と 西洋では異なっている。となると、自国のそれとは対照的な道徳的 理想もあるのだということを知ることによって心の幅が拡大すると いうことがあったとしても不思議ではない。

バイリンガリズムとバイカルチュラリズムは同義語ではないが、言 語と文化が重なりをもっている分だけ関連もある。言語は文化の一 分野にすぎないが、その文化を伝達するという働きもある。ここで 言う文化とは、ある人間集団の歴史の積み重ねのうちにできあがっ たごく日常的な生活の仕方全般という意味で、どれは彼らの行動や 習慣、物の考え方や伝達様式、互いの身元認識法(種族・国民・宗 教上の区分け・歴史的関わりなどによる)の中に現れている。文化 とは、なかなか満足のいくように定義できるものではないが、「特 殊文化でないもの」は何かを考えてみれば、案外はっきりしてくる ものかもしれない。「特殊文化でないもの」とは、全人類に共通し たものと、純粋に個人に発したものだけである。

最後に文化に関する新しい用語であるが、これは言語学で使ってい るものを流用して造っていく。例えば、接続語の mono-(単一)、 bi-(二、複数) multi-(多)や接尾語の -ism (主義、特性)、 -ity (性格、−さ)を -lingual- と -cultural- に付加していく。 かくして、特に「−イズム」を「−イティ」に変わることによって、 イデオロギーの連想を抜き取ることもできた。

言語学の専門語である「高等理論、二次元的言語知覚、意識 ( metalinguistic awareness )」という概念もあるが、二文化併用 の「認識面のプラス」を説明する際、「二次元的文化知覚 ( metacultural awareness )」という概念も必要となる。他者の文化 を知るということによって初めて自分の文化を認識するに至るという のも、この二次元的文化感覚の一例である。そして、諸文化に通じる ようになれば、文化上の差異が行動や常識の差異の原因であることも 分かってくる。文花に対して複眼をもつようになれば、文化を見る目 にもより客観性が増し、偏見が少なくなるかもしれない。一つの問題 に対しても、それぞれの文化の観点から、あるいは特殊文化を超越し たより普遍的な観点から眺められるようになるのかもしれない。意識 的にする人は二文化併用者( bicultural )であるに違いないだろう。

おわりに

ここで取り上げられなかった、バイリンガリズムに関する各種の研究 成果や本論文とは、異なった各種の考え方などを参考資料について、 以下の参考文献の欄に掲載しました。特に、バイリンガリズム・心理 言語学・応用言語学・異文化のコミュニケーショントレーニング論等 に関する文献を列挙致しました。興味のある方は是非、御読み下さり、 私の研究に対して御批評頂けると幸に思います。

和文監修:武本明子、井上貢

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Updated on 17 January 2003

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